ガソリンスタンドの価格表示が急速に変わりつつある。3月12日、長崎・対馬ではレギュラーガソリンが1リットル221円に達した。京都市のバス燃料入札は成立せず。神戸の運送会社は燃料費が4割近く膨らむ見通しになった。そうした現場の動きに対応するかたちで、政府は3月16日朝から「石油備蓄の放出」という非常措置に踏み切った。
何が起きているのか——備蓄放出とは
「石油備蓄の放出」と言っても、政府がどこかの倉庫からガソリンを配るわけではない。仕組みを理解しておく価値がある。
日本の石油備蓄制度には、民間備蓄・国家備蓄・産油国共同備蓄の3種類がある。今回の緊急対応で中心となるのは、このうち民間備蓄と国家備蓄の2つだ。
民間備蓄は、石油元売り大手などに対して、法律(石油備蓄法)で一定日数分の在庫保有が義務づけられたもの。通常は「1日あたりの国内消費量の70日分」が義務水準だ。国家備蓄は国が直接保有する原油で、緊急時に市場へ放出できる。
今回政府が3月16日に行ったのは、民間備蓄の義務水準を70日分から55日分へ15日分引き下げる官報告示だ。義務日数を下げれば、元売り会社は余剰在庫を市場に流通させることができる。これによって、まず民間の流通量を増やす。
続いて政府は、国家備蓄を1か月分、随意契約で石油元売り会社に売却して流通させる計画だ。民間備蓄15日分と合わせると日本国内の放出規模は合計約8000万バレルに達する見通しで、国内として異例の大規模放出となる。
なぜ今なのか——ホルムズ海峡という時限
政府が急いだのには理由がある。経済産業省によると、ホルムズ海峡の事実上の封鎖によって、今月20日ごろから日本に来るタンカーが大幅に減るおそれがあるという。つまり、「供給が細る前」に手を打とうという考えだ。
ホルムズ海峡とは、ペルシャ湾とオマーン湾をつなぐ海峡で、最も狭い部分は幅約50キロ。サウジアラビアやイラク、UAEなど中東主要産油国の原油輸出ルートの大部分が、この海峡を通る。日本は原油輸入を中東に大きく依存しており、ここが塞がれると石油全般の供給に直撃を受ける。
木原官房長官は3月16日の記者会見で「原油タンカーがホルムズ海峡を事実上通れない状況が続く中、今月下旬以降、わが国への原油輸入は大幅に減少する見込みだ」と述べた。日本政府は、IEA(国際エネルギー機関)の正式決定を待たず、先行して国内の放出を始めた。IEA自体も加盟国全体で4億バレルの協調放出を決定しており、こちらは加盟国全体として過去最大規模の国際的な緊急対応となっている。
価格はどうなるのか
政府は備蓄放出と並行して、直接的な価格補助も打ち出した。高市首相は、3月19日の出荷分からガソリンの小売価格を全国平均170円程度に抑える補助を開始すると表明した。軽油は158円程度、重油は120円程度、灯油は134円程度を目安とするという。
ただし、これで問題が解決するわけではない。神戸の運送会社は、備蓄放出が軽油価格の抑制に「一定程度つながる」としつつも、「原油の先物価格の上昇傾向が続く中、その効果は見通しにくい」と話す。今回の措置は、急激な価格変動を和らげる「緊急措置」であり、供給問題そのものを解決する「答え」ではないというのが現場の実感だ。
影響はガソリンだけにとどまらない

エネルギー問題は、燃料代の話にとどまらない。それがこの状況の難しさだ。
原油はガソリンだけでなく、軽油、灯油、重油、そしてナフサなど多くの石油製品に精製される。ナフサはプラスチックや包装材、電子部品の原料になる素材だ。これが不足すると、食品の容器や農業用フィルムにまで影響が波及する。
仙台のイチゴ農園を例に見ると、農業用ハウスの暖房に使う重油と灯油が値上がりしているだけでなく、イチゴを包む容器(石油由来原料)の価格も3割ほど上がっている。農園の早坂さんは「ハウス内の設定温度をギリギリのところまで下げながら調整しているが、上がり幅には追いつかない」と話す。
出典:NHK記事
京都市交通局では3月16日、市バス用の軽油入札が不調に終わった。3社が参加したが、2社は辞退し、残る1社は市の予定価格を上回ったためだ。ここ数年で入札不調は「1度もなかった」という。公共交通の調達にも、じわりと影響が広がっている。
備蓄放出は「時間稼ぎ」——今後何が焦点か
今回の政策の本質は、値上がりそのものを止めることではない。供給途絶を防ぎ、価格の急騰を和らげ、代替調達の時間を稼ぐことだ。
日本は2024年8月時点で203日分相当の石油備蓄を保有しているとされており、今回の放出で直ちに備蓄が枯渇するわけではない。ただし、ホルムズ海峡の混乱が長期化すれば、補助金や備蓄だけでは吸収しきれなくなる可能性がある。
今後の焦点は二つだ。一つ目は、ホルムズ海峡の混乱がどこまで続くか。短期で収まれば備蓄で乗り切れるが、長引けば代替ルートや代替産地の確保が不可欠になる。二つ目は、補助金・備蓄放出の効果が現場にどこまで届くか。今回の措置は大規模だが、それでも恩恵が届きにくい離島や農業・物流の現場からは「焼け石に水」という声も出ている。
今回の緊急対応は、危機の解決策ではなく初動措置だ。政府・IEAが時間を稼いでいる間に、状況がどう動くかを継続的に注視する必要がある。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

