イランをめぐる中東情勢の緊迫化が、日本の経済に具体的な影響を及ぼし始めている。ガソリン代が上がる——そんな「わかりやすい影響」だけではない。水道管、建材、食品の包装、自動車の部品まで使われる素材の供給が、いま川上から揺らぎ始めている。
「ナフサ」という聞き慣れない名前が重要な理由
事の発端は「ナフサ(naphtha)」と呼ばれる石油製品の供給不安だ。
ナフサとは、原油を精製する過程で得られる軽質の石油製品の一種。ガソリンや灯油と同じ精製工程から生まれるが、その使われ方はまったく異なる。ナフサは主に石油化学の原料として工場に届き、そこで「エチレン」「プロピレン」といった基礎化学品に分解される。
エチレンはその先でさまざまな素材に変身する。ポリエチレン(レジ袋やラップフィルム)、塩化ビニル樹脂(水道管や建物の外装材)、合成ゴム(タイヤや工業部品)、塗料、電子材料——私たちが日常的に目にする製品の多くが、ナフサを起点としたサプライチェーンの末端に位置している。
つまりナフサは、「エネルギー」ではなく「製造業の材料の入口」なのだ。ここが細ると、燃料の次の波として、工業製品全体に影響が及んでくる。
すでに減産が始まっている
その「入口」に、いま支障が生じている。石油元売り大手の出光興産(5019)は、山口県の徳山事業所と千葉県の千葉事業所でエチレンの減産を開始したと明かした。減産を始めた時期や規模は非公表だが、「ナフサの調達が長期化しても工場の稼働を続けるため」と説明している。
出光だけではない。三菱ケミカルグループ(4188)and 三井化学(4183)もすでにエチレン減産に踏み切っている。また、東ソー(4042)は四日市のエチレン設備の再稼働延期を決めたと業界報道では伝えられている。これは一社の操業トラブルではなく、国内石化産業が複数拠点で同時に生産調整に入っているという状況だ。
値上げも始まった。信越化学工業(4063)は塩化ビニル樹脂の国内向け販売価格を4月1日納入分から1キログラムあたり30円以上引き上げると発表した。同社は「今回の状況は自助努力の範囲を大きく超えている」と述べ、値上げとともに減産も行うとしている。原料高だけでなく、供給自体の制限が値上げの根拠になっているのが今回の特徴だ。
なぜ中東情勢が化学工場に影響するのか
ここで疑問が浮かぶかもしれない。中東の情勢が、なぜ日本の化学工場にここまで直結するのか。
その鍵は「ホルムズ海峡」にある。ペルシャ湾とオマーン湾をつなぐこの海峡は、幅が最も狭い部分で約50キロ。サウジアラビア、イラク、クウェート、UAE、イランなど中東の主要産油国からの原油や液化天然ガス(LNG)の多くが、この海峡を通じて世界に輸出されている。
日本は原油輸入で中東依存度が高い国であり、ナフサも例外ではない。経済産業省によれば、2024年時点でナフサの調達先は中東が44.6%、国産が39.4%、その他が16%という割合だ。ただし「国産」と呼ばれる分も、大半は中東から輸入した原油を日本国内で精製したもの。ナフサの直接輸入分と国内精製分の双方で中東起源の比重が大きく、日本のナフサ供給は実態として中東への依存度が高い。
ホルムズ海峡が混乱すれば、燃料だけでなく化学原料の供給網も同時に揺らぐ。今回はその典型的なケースといえる。
「すぐ棚が空になる」わけではないが
差し迫った危機感を持つ必要はあるのか。現時点での在庫状況について、経済産業省はポリエチレンなどの製品在庫が国内需要の約2か月分あると説明している。また、石油備蓄の活用も可能だとしている。企業側も、米国や南米など中東以外からの代替調達を探っているという。
経産省の担当者は「石油備蓄の放出をしっかり進めて、その間に中東以外の代替調達などにも取り組み、乗り切っていきたい」と話している。
ただし注意が必要な点もある。行政がまだ「乗り切れる」という説明をしている一方で、企業の現場はすでに減産と値上げに動いている。スーパーの商品棚がすぐに空になるわけではないが、まず企業向け材料の調達難や価格上昇が先に出やすく、その後に消費財の値段へにじんでくる流れには注意が必要だ。
今後、何を見ておけばよいか
この問題の行方を読む上で注目すべきポイントは三つある。
一つ目は、中東情勢の長期化かどうか。 ホルムズ海峡の混乱が短期で収まるのか、長引くのかで、影響の深さがまったく変わる。
二つ目は、代替調達がどこまで進むか。 ナフサは原油ほど市場が整備されておらず、急に調達先を切り替えるのが容易ではない。アメリカや南米からの調達拡大がどこまで現実的に進むかが焦点だ。
三つ目は、川下への波及がどこまで広がるか。 現時点ではエチレンの減産と塩ビの値上げが先行しているが、ポリエチレン、合成ゴム、塗料、自動車・家電の部材へと波及が広がれば、影響は製造業全体に及ぶ。
今回の問題は、単なる「化学業界の話」ではない。イラン情勢が、エネルギーの次の次の層——製造業の素材の入口——まで波及し始めたことを示す出来事だ。ガソリン代の変化と同じ目線で、素材・建材・日用品の価格動向を少し意識して見ておく価値がある局面に入っている。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

