毎月、政府はある文書を公表する。その文書に書かれた「景気は〇〇である」という一文に、エコノミストや市場関係者は神経をとがらせる。前の月と一字一句変わっていなければ、ほっとする人がいる。逆に、わずかな表現の変化があれば、それを手がかりに先読みしようとする人がいる。
その文書の名前が、月例経済報告だ。
「月例」とは何か——数字より「言葉」が動くかどうかを見る
月例経済報告は、内閣府が毎月まとめる、日本経済の通信簿のようなものだ。消費、輸出、企業収益、物価、雇用など、経済を構成するさまざまな要素を一通り点検し、それを総合して「景気全体はいまどういう状態か」という判断——基調判断——を一文で示す。
この文書を読む上での最大のポイントは、「数字がいくつか」ではなく、前月から言い回しが変わったかどうかだ。上がった、下がった、維持された。たったそれだけで、「政府は状況を改善と見ているか、それとも警戒しているか」が透けて見える。
18か月連続、変わらなかった「結論」
2026年2月に公表された月例経済報告で、基調判断はこう記された。
「米国の通商政策の影響が残るものの、緩やかに回復している」
Reutersによれば、この「緩やかに回復」という基調判断が維持されたのは、18か月連続だ。
18か月——つまり約1年半、政府は一貫して「緩やかな回復」というスタンスを変えていない。経済の現場では企業の苦悩も、生活者の物価高への不満もある。それでも政府の公式見解は「回復基調」を維持し続けている。
もっとも、「結論」が同じでも、文書の中身がまったく動いていないわけではない。基調判断の下に並ぶ個別項目に、3つの注目すべき変化が刻まれていた。
変化① 「自動車産業」という言葉が消えた
1月の報告には、米国の通商政策の影響として「自動車産業を中心にみられる」という言い回しが入っていた。それが今月、外れた。
ただし、これは「影響がなくなった」という意味ではない。「通商政策の影響が残る」という表現は今月も残されている。変わったのは、「どの産業が特に影響を受けているか」という記述が消えた点だ。
Reutersも、この点——基調判断の表現から「自動車産業を中心にみられる」が外れたこと——を伝えている。
変化② 企業収益が11か月ぶりに上方修正された
個別項目の中で、もう一つ動いたのが企業収益だ。
今回の報告では、企業収益の評価が「改善に足踏み」から「改善の動きがみられる」へと引き上げられた。11か月ぶりの上方修正だ。内閣府の担当者はReutersに対し、2025年10〜12月期の企業決算が好調だったことなどを背景として説明したとされている。
企業収益がなぜ重要かというと、これが設備投資や賃上げの原資になりやすいからだ。企業が儲かっていれば、新しい機械を買い、社員の給与を上げる余裕が生まれる。逆に収益が苦しければ、そのどちらも抑制される。今回の上方修正は、「企業側の崩れを警戒していた局面がいったん緩んだ」という政府の見立てを示している——とはいえ、通商政策リスクは引き続き明記されている。
変化③ 「物価が上昇」から「上昇テンポが緩やか」へ——約15か月ぶりの文言変更
3つの変化の中で、一般の生活者にとって最もわかりやすく、かつ最も誤解されやすいのがこれだ。
消費者物価の表現が、「上昇している」から「このところ上昇テンポが緩やかになっている」に変わった。約15か月ぶりの変更だと報じられている。
ここで重要なのは、「上昇テンポが緩やかになった」は「物価が下がった」ではない、という点だ。
少し整理しよう。物価には「水準」と「勢い(上昇率)」がある。たとえば、去年より物価が10%高くなっていたとして、今年は5%の上昇にとどまったとする。この場合、物価の水準は依然として去年より高い。しかし「上昇テンポ」はゆるやかになっている。
「物価が下がった」という体感がなくても、政府の表現が「上昇テンポが緩やかになった」に変わることはある。食品や光熱費が依然として高いと感じる生活者の実感と、統計上の「上昇率の鈍化」がずれることがあるのはそのためだ。
なお、月例経済報告では、生鮮食品とエネルギーを除いた物価指数(いわゆるコアコアCPI)の上昇テンポも緩やかになっているとされており、前年比で2%台半ばという数値も示されている。
足元の経済の実像:成長は「小幅」、消費は「伸び悩む」
基調判断は「緩やかな回復」で据え置かれているが、足元の経済の実態はどうか。
内閣府の関連資料によれば、2025年10〜12月期の実質GDPは公表されているものの、成長の勢いは力強いというより「小幅」と読み取れる内容だ。Reutersも、この時期の経済成長は弱めと伝えており、消費の伸び悩みが課題として続いていると論じている。
物価が上がる一方で、賃金の伸びが十分と感じられにくい状況はまだ残っている。政府が「緩やかな回復」という表現を18か月維持している裏には、上向きとも下向きとも言い切れないこうした状況が反映されているとも読める。
リスクは3つ、明示されている
今回の報告でも、内閣府は先行きのリスクをはっきりと明記している。
- 今後の物価動向
- 米国の通商政策
- 金融資本市場の変動
この3つだ。特に米国の通商政策は、「自動車産業」という具体的な言葉は外れたものの、引き続きリスクとして明示されている。書きぶりが変わったとしても、リスクが消えたわけではない——という政府の慎重な姿勢がここに表れている。
「据え置き」の中を読む、という作業
「景気判断、今月も据え置き」——こうした見出しは、一見すると「変化なし」を意味するように見える。しかし今回の月例経済報告は、基調判断こそ変わらなかったが、その内側で3つの変化が起きていた。
企業収益の改善、物価上昇テンポの鈍化、そして自動車産業への特定言及の解除。どれも劇的な転換ではない。しかし言葉を慎重に選びながら現状を記述するこの文書において、小さな変化が持つ意味は小さくない。
「緩やかな回復」という18か月変わらない言葉の下で、日本経済は静かに、しかし確かに動き続けている。

