「106万円の壁」が消える——社会保険の適用拡大で、働き方の「損得」が変わる

「月8万円台に抑えてきた」のに

スーパーのレジで週4日、1日5時間パートをしている50代の女性。夫の扶養に入っているため、毎月の給与がギリギリ「8万8,000円未満」に収まるよう、シフトを調整し続けてきた。「この金額を超えると社会保険に入らないといけないらしい」——そう聞いてから、ずっとセーブしてきた。

ところが2025年、この計算式の前提となっていたルールが変わることが決まった。「106万円の壁」として知られてきた賃金要件が、撤廃される方向に動き出したのだ。


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そもそも「106万円の壁」とは何か

「106万円の壁」は、よく耳にする言葉だが、意外と誤解が多い。まず整理しておきたいのは、これは税金の話ではなく、社会保険(厚生年金・健康保険)の話だという点だ。

現在、パートやアルバイトといった短時間労働者が厚生年金・健康保険に加入するには、複数の条件をすべて満たす必要がある。代表的なものを挙げると——

  • 週20時間以上の勤務
  • 月額8万8,000円(年換算で約106万円)以上の賃金
  • 勤め先の被保険者数が51人以上
  • 2か月を超える雇用の見込みがある
  • 学生でない

この「月額8万8,000円以上」という賃金要件が、俗にいう「106万円の壁」の正体だ。ここを超えると社会保険料の負担が発生するため、手取り収入が一時的に減ることがある。それを避けようと、意図的に給与を抑える「就業調整」が広く行われてきた。


改正で何が変わるのか

2025年に公布された年金制度改正法は、この状況を大きく動かす内容を含んでいる。

賃金要件が撤廃される見込み

月額8万8,000円という賃金要件は、撤廃される方向で法律が整備された。具体的な施行日は「法律の公布から3年以内」に、全国の最低賃金が1,016円以上となることを見極めて判断し、政令で定めるとされている(2026年2月現在、政令による施行日の確定公表については一次情報を要確認)。

なお、令和7年度の地域別最低賃金は全国加重平均で時給1,121円と、この判断基準とされる水準をすでに上回っている。

この改正が実施されると、「月8万8,000円未満に抑えれば社会保険に入らなくていい」という計算式は使えなくなる。

企業規模要件も、10年かけて段階的に撤廃

もう一つの大きな変化が、企業規模要件(現行:被保険者数51人以上)の段階的な縮小だ。厚労省が示しているスケジュールでは、以下のように段階を踏んで要件が下がっていく見込みだ。

  • 2027年10月:36人以上
  • 2029年10月:21人以上
  • 2032年10月:11人以上
  • 2035年10月:実質撤廃

これにより、これまで「大きな会社に勤めていないから関係ない」と思っていた人も、徐々に対象になっていく。

なお、ここでいう「人数」は従業員数ではなく、社会保険の被保険者数を基準に数えるルールがある点に注意が必要だ。

個人事業所にも広がる「全業種」適用

これまで個人事業所(法人でない事業所)が社会保険に強制加入となるのは、飲食業・小売業・製造業など、法律で定められた17業種に限られていた。

改正では、2029年10月以降、常時5人以上の従業員がいれば業種にかかわらず強制適用となる方向で整備が進む。

ただし、重要な例外がある。2029年10月の施行時点ですでに営業している「これまで対象外だった業種の個人事業所」は、当分の間、対象外とする経過措置が設けられる。「全業種へ」という言葉だけで一般化すると誤解を生む可能性があるため、確認が必要な点だ。


「壁」は複数あり、混同に注意

社会保険に絡む「壁」は「106万円」だけではない。混乱しやすいので整理しておきたい。

  • 106万円の壁:厚生年金・健康保険に入るかどうかの「賃金要件」。今回の改正で撤廃方向へ。
  • 130万円の壁:配偶者の扶養(健康保険の被扶養者、および国民年金の第3号被保険者)でいられるかどうかの基準。こちらは今回の主な改正対象ではなく、別のルールで動く。
  • 税の壁(103万円など):所得税・配偶者控除にかかわる話で、社会保険とは別の体系。

改正後も、週20時間未満の働き方でも年収が130万円を超えると扶養から外れる可能性があるなど、複数のルールが複雑に絡み合う点は変わらない。「106万円の壁がなくなったから全部解決」ではないことを念頭に置いておく必要がある。


「損得」の計算軸が変わる

就業調整をしてきた多くのパート労働者にとって、今回の改正が意味するのは何か。

これまで「月8万8,000円に抑える」ことが調整の基準だったとすれば、その基準がなくなった後、新しい調整軸として浮上するのが「週20時間」だ。この基準は賃金要件が撤廃されても残るため、週20時間を超えて働くかどうかが、社会保険に入るかどうかの判断ポイントになる。

なお、厚労省FAQによれば、一時的に週20時間を超えた場合でも直ちに加入対象になるわけではなく、2か月を超えて継続する場合に加入対象となり得る整理がされている。

一方で、社会保険に入ることには手取りが減るだけでなく、メリットもある。

  • 老後の厚生年金が増える
  • 傷病手当金(病気やケガで働けなくなったときの給付)が受けられる
  • 産前産後・育児休業中の給付が対象になり得る

短期的な手取り減だけで判断せず、長期的な視点で「社会保険に入る働き方」の価値を見直す機会になるという見方もある。


小さな職場への配慮——保険料の軽減措置

企業規模要件が段階的に下がると、これまで社会保険に入っていなかった人が新たに対象になる。その際、急激な負担増を和らげるための措置が用意されている。

従業員50人以下などの事業所で新たに対象となった短時間労働者(標準報酬月額が12万6,000円以下が目安)については、3年間を限度に、本人の保険料負担が軽減される仕組みが設けられる見込みだ。事業主が通常より多めに負担し、その追加分を制度全体でカバーする形とされている(詳細の適用条件は厚労省資料による確認を推奨)。


変化は少しずつ、でも確実に

今回の改正は、一夜にして何かが変わるものではない。賃金要件の撤廃は政令で定める日まで確定していないし、企業規模要件の縮小は2027年から2035年にかけての長い段階を踏む。

ただ、方向性は明確だ。「いくら稼ぐか」で調整してきた時代から、「何時間働くか」が主軸になる時代へ——制度の転換は、働く人それぞれに「どう働きたいか」を改めて問いかけている。

自分の働き方に直接関係すると感じた人は、厚労省の特設サイトや、加入している健康保険の窓口で最新情報を確認しておくとよい。


出典:厚労省「年金 社会保険の加入対象の拡大」、厚労省「令和7年度年金制度改正法の解説」、厚労省PDF「被用者保険の適用拡大について」、厚労省「令和7年度 地域別最低賃金」

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Person who wrote this article

CFP®/Level 1 Financial Planning Technician
Certified by the Japan Securities Analysts Association
・Primary Private Banker
・Asset Formation Consultant
Certified by the Financial and Financial Situation Study Group
・NISA Trading Advisor

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