「治らなかった病気が、治療の対象になっていく」——iPS細胞、世界初の実用化へ

2026年2月19日、日本の医療史に刻まれる一日が静かに幕を開けた。


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ある患者の生活は、決して珍しくない

パーキンソン病と共に暮らす人の中には、歩幅が小さくなり、転びやすさを意識しながら一歩一歩を確かめるように歩く人がいる。服薬回数が増え、日常の動作は少しずつ時間を要するようになる。

「治らない」と言われてきた病気と向き合う、その生活は決して珍しいものではない。今回の報せが注目される理由は、iPS細胞という研究成果が、患者の生活と現実に接続される段階へ入ろうとしている点にある。


20年前の「発見」が、医療の現場へ近づいた

2006年、京都大学の山中伸弥教授らの研究チームが世界を驚かせた。

皮膚などの体細胞に特定の遺伝子を入れると、心臓にも神経にも筋肉にも——体のあらゆる細胞へと変化できる「万能細胞」が生まれる。それが**iPS細胞(induced Pluripotent Stem cell:人工多能性幹細胞)**だ。

📖 用語メモ|iPS細胞とは? 体の一部の細胞を採取し、特殊な処理を加えることで「何にでもなれる」初期状態に戻した人工の細胞。受精卵(胚)を使わずに作れるため、倫理的な問題も少ない。山中教授はこの発見で2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

あの発見から20年。研究は臨床研究や治験を重ね、2026年2月19日、厚生労働省の専門家部会が、iPS細胞由来の再生医療等製品2つの製造販売を了承した。正式な承認は今後、厚労相の判断を経る見通しで、実現すればiPS細胞由来製品として世界初の実用化と位置づけられる。

ただし、ここで言う「承認」は、医療としての確立を意味する”ゴール”ではない。限られた症例から有効性を推定し、患者に早く届ける代わりに、実際の医療現場で7年以内にデータを積み上げ、有効性と安全性を改めて検証して本承認を取り直すことが前提となる。期待と同時に、検証の時間が始まる。


2つの製品——「心臓に貼るシート」と「脳に届ける細胞」

今回、部会が了承したのは重い心臓病とパーキンソン病を対象とする2つの再生医療等製品だ。いずれもiPS細胞から作られた細胞を用いており、錠剤や注射薬とは異なる「生きた細胞を使う治療技術」として理解するのが正確だ。


🫀 リハート——心臓に貼り付け、機能回復を促す

大阪大学発ベンチャー「クオリプス」が開発した**「リハート」**は、iPS細胞から作った心筋細胞をシート状に加工したものだ。手術で厚さ0.1ミリのシートを心臓の表面に3枚貼り付ける。

対象となるのは**「虚血性心筋症(きょけつせいしんきんしょう)」**などの重い心臓病の患者。心臓の筋肉への血流が不足し、胸の痛みや息切れに苦しむ病気で、悪化すれば心臓移植が必要になることもある。

📖 用語メモ|虚血性心筋症とは? 「虚血」とは血流が不足すること。冠動脈(心臓に血液を送る血管)が詰まったり狭くなったりして、心臓の筋肉が長期間にわたって機能が低下した状態。狭心症や心筋梗塞を繰り返した後に発症することが多い。

シートから分泌される生理活性物質(サイトカインなど)が新たな血管を作り出す信号となり、傷ついた組織の修復や心機能の改善につながると期待される。治験では少数例で症状の改善がみられ、移植した細胞のがん化も確認されなかったとされる。

治験に参加した患者の一人は、それまでの治療では改善しなかった息切れや疲労感が軽くなり、趣味のゴルフを再開できたという。開発を担った大阪大学の澤芳樹特任教授は「国内外の数十万人の患者の命を救う治療になる可能性がある」と語る。

ただし現段階のエビデンスは「限られた症例での評価」だ。市販後により多くの患者データを集め、効果の再現性と安全性を丁寧に確かめる工程が、次の主戦場になる。


🧠 アムシェプリ——失われたドーパミン機能の回復を目指す

住友ファーマ(大阪市)が申請した**「アムシェプリ」**は、iPS細胞から作ったドーパミン神経細胞の元になる細胞を、パーキンソン病患者の脳に直接移植する治療だ。

パーキンソン病は、脳の中でドーパミンという神経伝達物質を作る細胞が徐々に死んでいく難病だ。手足の震え、歩行困難、動作の遅さといった運動症状が現れ、国内に約30万人、世界では1000万人以上が患っているとされる。現在の治療は主に症状の緩和が中心で、病態の進行を根本から止めることは難しい。

📖 用語メモ|ドーパミンとは? 神経細胞同士が情報をやり取りするために使う化学物質(神経伝達物質)の一つ。運動の調整に深く関わっており、不足すると体の動きにさまざまな支障が出る。

アムシェプリが目指すのは、iPS細胞由来の細胞を移植することで、不足しているドーパミン機能の回復につなげることだ。治験では一部の患者に運動機能の改善がみられ、安全性も確認されたとされる。住友ファーマはすでに大阪で培養した細胞を生きたまま約23時間かけてアメリカに空輸し、現地での治験も実施している。


「仮免許」から「本免許」へ——条件・期限付き承認の意味

今回の承認は**「条件・期限付き承認」**と呼ばれる特別な制度を使ったものだ。

通常の新薬は、何百人もの患者を対象にした治験で有効性と安全性をしっかり証明してから承認される。しかしiPS細胞のような「生きた細胞」を使う治療は、化学的な薬と違って品質を均一に保つことが難しく、十分なデータを集めるまでに膨大な時間がかかる。

📖 用語メモ|条件・期限付き承認制度とは? 再生医療等製品に適用できる日本独自の早期承認制度。少ない症例でも有効性が推定でき安全性が確認された段階で”仮免許”のように市場に出す代わりに、最長7年の期限内にデータを積み上げて「本承認」を取り直す義務を課す。これまでに6製品が早期承認されたが、本承認に至った例はまだなく、2製品は自ら申請を取り下げている。

山中伸弥教授はこう述べている。「社会実装へ向けた大きな一歩を踏み出せたことを大変うれしく思います。しかし、浮足立つことなく、科学的な慎重さを持って、引き続き一歩ずつ着実に進んでいくことが重要」——喜びと緊張の両方が、この承認の性格をよく表している言葉だ。


20年、1100億円——国が賭けた「再生医療」の未来

iPS細胞の実用化がここまで進んだ背景には、国家レベルの投資があった。2013年以降、政府は再生医療の研究開発に重点的な資金投入を開始し、2022年度までの10年間で約1100億円を投じた。今回の2製品も基礎研究の段階から支援を受けてきた。

世界を見渡せば競争は激化している。中国では糖尿病患者にiPS由来細胞を移植してインスリンが不要になったという報告があり、ドイツでは心筋パッチを重い心不全患者に使う手術の成果が発表されている。

「発見から20年での実用化は比較的早い。しかしまだ条件付きの段階で、今後どれだけ良いデータを積み上げられるか、治療の質で海外より優れているかどうかが問われる」と、再生医療に関わる国の委員を務めた経営コンサルタントの花村遼さんは指摘する。


「世界初」はスタートライン——これから問われるもの

今回の了承は、研究成果が医療として走り始める起点だ。しかし同時に、ここからが検証の本番でもある。生きた細胞を安定して製造・供給する体制、治療費と保険適用の手続き、長期的な安全性の追跡、そして何より有効性の再現性——課題は多い。

保険診療としての開始時期は承認後の手続き(薬価・保険収載)に左右されるが、開発関係者の間では年内、秋ごろの開始を見込む声もある。

それでも、2006年の発見から20年。iPS細胞は「夢の万能細胞」という言葉の段階を越え、実際の医療として社会に組み込まれていく局面に入った。「世界初」の看板が本当の意味を持つかどうかは、これから積み上がるデータが決める。


この記事のポイントまとめ

  • iPS細胞:体の細胞を「万能状態」に戻した人工細胞。あらゆる組織に分化できる。山中教授が2006年に発表し、2012年にノーベル賞を受賞。
  • リハート:重い心臓病(虚血性心筋症)向けの心筋細胞シート。心臓に貼ることで機能回復を促す。
  • アムシェプリ:パーキンソン病向けの脳移植用細胞。失われたドーパミン機能の補充を目指す。
  • 条件・期限付き承認:少ない症例で早期承認する代わりに、7年以内に追加データで本承認を取り直す日本独自の制度。
  • 正式承認まで約1〜2か月。保険診療としての開始は年内を目指す動きがあるが、手続き次第。
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Person who wrote this article

CFP®/Level 1 Financial Planning Technician
Certified by the Japan Securities Analysts Association
・Primary Private Banker
・Asset Formation Consultant
Certified by the Financial and Financial Situation Study Group
・NISA Trading Advisor

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