「警備員の仕事が好きだった」──最高裁が下した”遅すぎた正義”

軽度の知的障害を持つ男性は、警備員として働いていた。
ところがある時期、財産管理を支援してもらうために成年後見制度を利用したところ、法律の規定によって職を失うことになった。
「辞めなければならないのはショックでした」と語る男性が国を訴えてから、最高裁判所がついに答えを出した。

2026年2月18日。最高裁大法廷は、「成年後見制度を利用した人は警備員になれない」とした旧・警備業法の規定を、憲法違反だと明言した。

ただし、国への賠償は認めなかった。

これは単なる法律の話ではない。「支援を求めた人が、支援を求めたがゆえに職を奪われる」という矛盾に、日本の最高法院がようやく向き合った判決だ。

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【そもそも何が問題だったのか】

■「制度を使ったら仕事を失う」という皮肉な構造

成年後見制度は、判断能力が不十分な人を守るための仕組みだ。財産の管理や重要な契約の際に、本人を支える後見人・保佐人・補助人などが付き添う。使えば生活が安定するはずの制度だった。

ところが当時は、成年後見制度の利用を理由に資格や就業を一律に制限する「欠格条項」が180以上の法律に残っていた。警備業法だけでなく、国家公務員法など幅広い職業・資格の領域で、「制度利用者は就けない」と一律に弾き出されてしまう構造だ。

つまり、支援を受けようとした人が、支援を受けたことで人生の選択肢を狭められる。制度の設計として根本的におかしい、と多くの人が気づき始めたのは、ずいぶんと時間がかかった。

■なぜ「保佐」を使っただけで、警備員をやめなければならなかったのか

今回の原告男性は「保佐」を利用した。保佐は、後見より軽い支援の類型で、重要な法律行為の際にサポートを受ける仕組みだ。日常生活の能力や働く能力を否定するものではない。

にもかかわらず、当時の警備業法は「保佐が付いている人は警備員になれない」と一律に規定していた。本人の実際の能力も、勤務状況も、まったく関係なかった。法律に名前が載っていれば、それだけで終わりだった。

【最高裁が「違憲」と言い切った理由】

■「一律排除」の乱暴さを、社会の変化で断罪した

最高裁大法廷の今崎幸彦裁判長は判決の中で、2011年以降の動きに注目した。障害者権利条約の批准に向けて国内法の整備が進み、「障害を理由とする差別は禁止すべき」という考え方が社会に定着していった流れだ。

そのうえで、「遅くとも男性が退職を余儀なくされた時点では、法律による一律排除の不利益はもはや見過ごせない水準になっていた」と判断した。

ここには重要なメッセージがある。「昔からずっとある規定だから仕方ない」では、もう通用しないということだ。社会の認識が変わった以上、法律の正当性も問い直される。今回の違憲判断は、その変化を司法が追認した形だ。

■職業選択の自由と、法の下の平等が根拠

憲法上の根拠としては、職業選択の自由(22条)と法の下の平等(14条)が持ち出された。制度を利用したという「形式」だけで、個別の能力や状況を一切見ずに職業から締め出すことは、これらの保障に照らして行き過ぎだ、というのが最高裁の結論だ。

【なぜ「違憲」なのに「賠償なし」なのか──最もつまずきやすい点】

■「違憲=即賠償」ではない、という法律の現実

ここで多くの人が首をひねる。「違憲と認めたなら、国が賠償すべきでは?」と思うのは自然な反応だ。

ただ、憲法違反の判断と、国家賠償の判断は別のハードルを乗り越える必要がある。国会の「立法の遅れ」を理由に賠償を認めるためには、「正当な理由なく、長期にわたって、明らかに必要な措置を怠った」と言えるほどの強い事情が必要だ。

最高裁の多数意見は、「国会が正当な理由なく長期にわたって立法措置を怠ったとまではいえない」として、賠償請求を退けた。違憲は認めるが、賠償責任まで問うには届かない、というラインを引いたのだ。

■割れた裁判官たち──5人が「賠償すべき」と反対意見

ただし、この結論は全員一致ではなかった。15人の裁判官のうち5人が、「国に賠償責任がある」とする反対意見を述べた。3分の1が賠償を認めるべきだと考えていた、ということだ。

それだけ、「違憲と賠償をどう切り分けるか」という問いが、単純な答えを許さないことを示している。原告男性が「違憲と認められてうれしかった」と語りながら、賠償は得られなかったという現実は、この問いの難しさそのものだ。

【この判決が持つ意味──条文が消えた後でも】

■欠格条項は7年前に削除済み。それでも今回の判断が重要な理由

実はこの種の欠格条項は、2019年の法改正ですでに多数の法律から削除されている。「一律排除」から「個別審査」へと転換したのだ。つまり今後、同じ理由で新たに職を奪われるケースは基本的に起きない。

それでも今回の最高裁判断は大きい。過去に行われた「制度を使ったことによる一律排除」が、憲法の観点から明確に誤りだったと確定したことになるからだ。これは将来の類似した運用や、残っているかもしれない別の欠格条項に対する、強い警告でもある。

■制度を「使いにくい」と感じさせてきた空気を変える

今回の判決が長期的に持つ意味として、成年後見制度への心理的ハードルを下げる効果も期待できる。「制度を使ったら人生が狭まるかもしれない」という恐れは、助けを必要としている人が制度から遠ざかる原因になってきた。

司法が「そのような不利益を憲法は認めない」と言い切ったことで、「支援を受けることへの萎縮」が少しでも緩和されれば、この判決の意味は法廷の外にも広がっていく。

【最後に──正義は来たが、”遅すぎた”という問いは残る】

男性は言った。「警備員の仕事は好きで楽しかった。辞めなければならないのはショックでした」と。

最高裁は「違憲だった」と認めた。でも、制度利用によって失った仕事は戻らない。賠償も認められなかった。

「遅すぎた正義は正義といえるか」という古い問いがある。今回の判決は、その問いを正面から突きつけてくる。

違憲判断は確かに意義深い。しかし、過去に傷ついた人への金銭的な救済なしに、「社会はきちんと反省した」と言い切れるだろうか。5人の裁判官が賠償を認めるべきだと声を上げた事実は、この問いへの答えをまだ社会が出せていないことを示している。

制度は変わった。法律も変わった。判決も出た。
過去の被害をどう救済するか、そして制度利用者を支える現場の運用をどう整えるか。判決の先にある課題は、むしろそこに残されている。


【コラム|そもそも「成年後見制度」って何だろう──基礎から丁寧に解説】

今回の裁判を理解するうえで欠かせないのが、「成年後見制度」という仕組みへの理解だ。名前は聞いたことがあっても、実際にどんな制度なのかを正確に知っている人は意外と少ない。ここで改めて整理しておきたい。

■そもそも、なぜこの制度が必要なのか

人は誰でも、年齢を重ねたり、病気や障害を抱えたりすることで、判断能力が低下することがある。そういったとき、悪質な業者に騙されて高額な契約を結ばされたり、財産を不当に奪われたりするリスクが高まる。

成年後見制度は、そうした事態から本人を守るために2000年に導入された仕組みだ。家庭裁判所が後見人などを選び、本人の財産管理や重要な契約をサポートする。本人の権利を守り、自立した生活を続けられるよう支援することが制度の根本的な目的だ。

■3つの類型──「後見」「保佐」「補助」の違い

成年後見制度には、本人の判断能力の程度に応じて3つの類型がある。

まず「後見」は、判断能力がほとんどない状態の人に適用される。成年後見人が財産管理や契約などをほぼ全面的に代理する。3つの中でもっとも支援の範囲が広い。

次に「保佐」は、判断能力が著しく不十分な人に適用される。日常的な買い物などは自分でできるが、不動産の売買や借金、相続の承認といった重要な法律行為については保佐人の同意が必要になる。今回の原告男性が利用していたのが、この「保佐」だ。

そして「補助」は、判断能力が不十分ではあるものの、後見・保佐ほどではない人に適用される。特定の行為についてのみ、補助人がサポートする。3つの中でもっとも支援の範囲が限定的だ。

重要なのは、どの類型でも「本人の生活能力や働く能力を全面的に否定するものではない」という点だ。あくまで、必要な場面で必要なサポートを受けるための仕組みであり、「この制度を使っている人=何もできない人」という等式は成り立たない。

■「法定後見」と「任意後見」──制度には2種類ある

成年後見制度には、大きく分けて「法定後見」と「任意後見」の2種類がある。

法定後見は、すでに判断能力が低下した人について、家庭裁判所が後見人などを選任する仕組みだ。本人や家族などの申立てを受けて、裁判所が状況を判断し、後見・保佐・補助のいずれかを決める。今回の事件はこちらに該当する。

任意後見は、まだ判断能力があるうちに、将来自分の判断能力が低下したときのために、あらかじめ信頼できる人と契約を結んでおく仕組みだ。「将来こうなったときはこの人に任せる」と自分で決めておけるため、本人の意思が尊重されやすいとされる。

■制度を「使いにくい」と感じてきた人たちの現実

成年後見制度は、利用すべき人がまだ十分に利用できていないという課題を長年抱えてきた。

その大きな理由のひとつが、今回の裁判で問われた「欠格条項」だ。制度を利用すると職業や資格を失いかねないという現実は、支援を必要としているにもかかわらず「使わないでいよう」と思わせる強い抑止力になっていた。

また、後見人が選任されると、本人の意思よりも後見人の判断が優先されがちになるという運用上の問題も指摘されてきた。制度の趣旨は「本人の権利を守る」ことにあるはずが、実際には「本人の自由を制限する」方向に働いてしまうケースがあったのだ。

■2019年の法改正──「一律排除」から「個別審査」へ

こうした問題を受け、2019年に「成年被後見人等の権利の制限に係る措置の適正化等を図るための関係法律の整備に関する法律」(いわゆる「一括法」)が施行された。

これにより、警備業法や国家公務員法など180以上の法律に存在していた欠格条項が一斉に削除された。代わりに導入されたのが「個別審査」の仕組みだ。制度を利用しているかどうかという「形式」ではなく、その人が実際にその職務を行う能力があるかどうかを個別に見ていく方向へと転換した。

これは制度の考え方として大きな転換点だった。「成年後見制度の利用者だから一律にNG」ではなく、「その人自身を見て判断する」という当たり前のことが、ようやく法律に明記されたのだ。

■この制度、自分には関係ない?

「成年後見制度は高齢者や重い障害のある人の話」と思っている人も多いかもしれない。しかし実際には、事故や病気による突然の意識障害、若年性認知症など、誰にでも起こり得る事態がきっかけになることがある。

また、高齢化が進む日本では、親や祖父母の財産管理の問題として、より身近に感じる場面も増えてくるはずだ。「自分には関係ない制度」ではなく、「いつか自分や家族が使うかもしれない制度」として知っておく価値は十分にある。

今回の最高裁判決は、そういう制度をめぐる社会の認識を、もう一段階前に進めるきっかけになるかもしれない。支援を求めることが、生き方の幅を狭めることにつながらない社会へ──その方向に、司法が背中を押した判決だった。

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Person who wrote this article

CFP®/Level 1 Financial Planning Technician
Certified by the Japan Securities Analysts Association
・Primary Private Banker
・Asset Formation Consultant
Certified by the Financial and Financial Situation Study Group
・NISA Trading Advisor

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